日本切手ノート (33) 15.07.28 |
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★ 東北最古の龍切手使用封筒について |
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25〜6年前になるだろうか。東北の有力紙『河北新報』に次のような記事が掲載さ れている。 「東北で最古の郵便切手付封筒が東京で発見された。発見者は東京根岸にお住 まいの酒井勇作さんで、龍切手百文が貼ってあり゛壬申(ミズノエサルと読み、明治5年 のことである。)7月〇日出す。"と筆で書かれている。北海道・東北地方で郵便制度 が実施され、郵便局が出来たのは明治5年の7月のことで、これまでは8月に使用 されたものが、最も早い使用例とされていた。宛先は゛常州筑波郡吉沼村、田上藤 右衛門殿"」とある。(画像左) 当時の郵便料金は距離により決定され、上記の区間は三百文が適正であった。 百文切手一枚では二百文の不足となり、この切手の上にあと二枚の百文切手が貼 ってあった筈である。「残念だね。」と評判になった。しかし、この封筒を見て目が輝 いたのは、陸前は石巻にお住まいの鈴木紀男さんである。直ぐ酒井さんに連絡をと り、「この封筒は地元にあってこそ輝きます。是非、私にお譲り願いたい。」と交渉さ れた結果、酒井さんの快諾を得て鈴木コレクションに収まる事になった。以来、お二人 は三十年近くもの間、親しいお付き合いをされている。先頃は、酒井さんご夫妻が 石巻を訪ね、鈴木家に泊まり郵趣話に華を咲かせたとか。 時は流れ、1994年(平成6年)5月「タカハシスタンプオークション 332号」にある百文切手が 出品された。□仙の消印が押されているが、別段取り立ててどうこう言う切手ではな かった。最低値75,000円で始まったこの切手は、専門型録評価の2倍近い24万とい う値段で、鈴木さんが落札された。会場には溜息が洩れたのは言うまでも無い。し かし、鈴木さんの心臓の鼓動は大太鼓の乱れ打ちだったらしい。それは、落札値段 のせいではなく、この切手はきっとあの封筒から剥がれたものに違いないと確信し ていたからである。そして、合わせてみるとピタリとこの封筒に収まった。彼の目に 狂いはなかったのである。(画像中) 上記オークションから約10年経過した2003年(平成15年)7月、「タカハシスタンプオークション 442号」に同じような切手が出品された。あと一枚と目を皿のようにしていた鈴木さん が見逃す筈はない。今回は隣席に酒井さんも出席して、固唾を飲みながら競売を 成り行きを見守っていた。鈴木さんは何がどうあっても落札して持ち帰る積もりで参 加していた。ところが、他の人にとっては上記のこと等知らないので、単に龍百文2 版の□仙の切手だった為、呆気なく鈴木さんの落札となったのは、誠に持ってめで たい限りである。落札値は12万円であった。(画像右) 趣味の世界では、切手が脱落している封筒は、郵趣的な価値はともかく骨董的な 価値として非常に低く評価されている。この封筒に三枚の切手が揃う事は本当の奇 跡であり、脱落一枚の切手が見付かる事はたまにあるが、脱落二枚が、しかも年月 を経て再会するのは七夕様でも聞いた事はないだろう。これにより、この封筒の価 値は驚くほど高価になったと言っても過言ではないだろう。 このおめでたい話を皆さんに聞いて頂きたく、ご両人のお許しを得て発表させて頂 く。 追録 日本ノート(32)で触れた垂井の郵便局長は石黒松兵衛氏で、(出版を手掛けてい た人で、俳諧の世界では有名人らしい。)明治6年の局長名簿に記載されている。栗 田文吾氏は垂井宿の本陣(当地最高の宿屋)のご主人で、明治5年3月の垂井郵便 局の開局時には、或は局長だったかも知れない。 |
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