日本切手ノート (32) 15.07.16 |
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★ 再び、龍半銭貼の帯封 |
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便利な世の中になりました。この帯封の記事を書きましたところ、早速、反響が有 りましたので報告させて頂きます。美濃の国に縁があるとおっしゃるKTさん、有難う ございました。 この帯封は、神戸より美濃の岩手村にお住まいの児玉氏に宛てたものである。岩 手県から旅行中の児玉氏に宛てたように読まれた方もいたようだが、この岩手は現 在の岐阜県不破郡垂井町岩手の事で、垂井の郊外の岩手に違いない。 美濃岩手には砦のような小さな城があり、竹中氏の勢力の範囲だった。竹中氏は 豊臣秀吉に仕えた竹中半兵衛の一族で、関ケ原の戦の時には西軍の小西行長を 捕まえて、徳川の旗本にとりたてられ、この地方の支配者になったのだそうな。この 竹中氏の配下には児玉の姓を持つ者が多かったといわれ、現在でも児玉姓を名乗 る人を見る事が出来る。 明治5年頃、日誌類の郵便料金は重量に関係無く、距離によって定められていた。 50里以内は48文、百里以内は100文となっており、持込料は48文である。 神戸より垂井までの距離は、現在の鉄道や高速道路の距離で見ると、約170km位 になる。当時の交通状態を考えると、50里以上100里以内で良いのではないだろう か。これに持込料の48文を加えると、貼付の切手で適正料金になる。 上画像の栗田文吾様の左下(丸印)の2文字を「取次」と読めば、この栗田氏は郵 便局長だったのではあるまいか。 概要以上のメールを頂いたが、如何なものであろうか。訂正・新説等がありました ら、メールして下さい。 |
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追加 栗田文吾氏は垂井宿の本陣の当主である。明治5年3月の開局時に郵便局長を やっていても不思議ではないが、文献に依ると明治6年の郵便局長は石黒松兵衛 氏となっており、同14年の文献でも同氏の名前が局長として記載されている。 |
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