日独戦争と俘虜郵便の時代 47
      03.12.08

23) 
青島守備軍の普通郵便局(その3)

 大正71121に設置された普通郵便局(1次局、9局所)に続いて、“占領租借
地”内では、滄口(青島郵便局滄口出張所・
大正831開局、滄口郵便局へ昇
格・
大正9516)、青島郵便局天津町出張所(大正8616)、李村郵便局
九水出張所(
大正8101)、青島佐賀町(大正923)、青島郵便局膠州
町出張所(
大正976)、李村郵便局沙子口出張所(大正9821)、青島
松根町(
大正9916・青島大港郵便局移転改称)、青島郵便局若鶴町出張所
大正10221)が各々開局している。“占領租借地”外では、済南、維県(三水
の維)以外に普通郵便局の設置は行なわれていない。

 
176 滄口郵便局差出・天津宛・櫛型・滄口/11.8.30/9-12 抹消

 この追加開局された普通郵便局の中に青島佐賀町郵便局がある。この郵便局開
局について、筆者は以前より疑問に思っていた事があったのだが、調査の過程で
謎が解明されたのでここに記録しておこう。あるいは郵趣界では未発表の事ではな
いだろうか。


 筆者が疑問に感じていたのは、「なぜ青島本局のある“佐賀町”という町に、新た
に郵便局を設置する必要があったのか」という事であった。これまでに述べてきたよ
うに、青島陥落後、旧ドイツ青島郵便局本局舎(佐賀町)を接収した日本軍は、その
局舎を青島市内の野戦郵便局として継続して使用してきた。
大正7年1121
は、同局に普通郵便局も併置している。地図をみる限りでは、“佐賀町”は新たに2
局目の普通郵便局を設置するほどの区画でもなく、本局はその区画の中央に位置
する。また、旧ドイツ時代の主要地区であったとはいえ、戦後の民間人の流入によ
る商業的な発展という面からは、大鮑島地区と比べむしろ衰退した地区であったの
である。


 ドイツ租借地時代の青島市内は、大きく分けると北地区(大鮑島地区・中国人街)
と、南地区(ドイツ膠州湾総督府官舎及びドイツ人街)に分かれていた。日本軍占領
後は青島守備軍の中枢を南地区に置き、民間人や一般商社の流入は主に北地区
に集中している。
大正6までに北地区では新市街再開発が盛んに行なわれ、その
発展は著しいものがあった。


 
大正61030、青島守備軍民政長官秋山雅之介より陸軍次官山田隆一少将
へ「青島郵便局建築ノ件」(欧受第
1451号、青逓秘15号)が申請されている。

(概要)

・ 青島守備軍民政部では、青島郵便局の移転新築を計画し、大正7年度予算に計
 上申請しているが、その理由を詳しく述べるので是非承認してほしい。

・ 局舎は旧独逸郵便局舎を襲用しており、当初は利便性に問題はなかったが、商
 工業の発展による郵便物の増加により局舎が狭くなった。新市街工事の進歩によ
 り商工業繁栄の中心に遠く、通信の遅達、取扱上の不便、経費の不利等が大きく
 なった。

・ 汽船便到着の際には行襄数が一便600包容、小包2500個を越える事もよくあり、
 保管場所を含め現局舎の処理能力を超えている。局員宿舎の不足。また、配達
 便の多い北地区の方が汽船便到着地が近いにも係らず、一度南地区の本局まで
 運ぶ事の不合理。


 この申請に対して陸軍次官は、差向き来年度予算としては詮議しないと回答(
11
15
・欧発1069号)しているが、青島守備軍民政部では引続き申請を続けてい
る。
翌大正731には、青島守備軍司令官本郷房太郎より陸軍大臣大島健一
への申請(欧受第
322号)として、青島郵便局移転新築予算額を173,423円から
158,000
円に減額の上、再度申請していることからも、事態が非常に切迫していたこ
とが窺われる。


 結論から言うと、佐賀町にあった青島郵便局(本局)の移転新築は承認され、移転
後の佐賀町の旧本局舎がそのまま“青島佐賀町郵便局”として生まれ変わることに
なったのである。青島郵便局新局舎の起工日付は不明だが、
大正8517、青
島守備軍より陸軍次官への「青島佐賀町郵便局設置ノ件申請」(欧受
538号)で、
「〜新局舎近ク工事竣工移転ノ豫定ニ候〜現青島局所在地ハ當軍司令部ニ接近
シ且附近一帯ニ通信力優勢ノ地ナルヲ以テ同局移轉後ハ其跡ニ左記ニ依リ郵便
局設置ノコトニ御詮議相成度〜」
と、新郵便局設置による局舎継続使用を申請し許
可されている。これら一連の詮議は、全て青島守備軍と陸軍省により決定され、逓
信省には事後報告の形式で承認を得ていることも付け加えておく。


177 青島守備軍公報 大正9年130

 大正923、佐賀町の青島郵便局(本局)は、青島市北地区の青島大港局と
青島大鮑島局の中間に位置する所澤町に移転された。旧本局からは約
1km程離れ
ている。事務器材等は新たに購入したものもあったであろうが、郵便印に関しては、
使用例では旧本局時代のものと違いは見受けられない。


図178 新青島郵便局 資料提供 Mr.Tsingtau

 同じく
23、佐賀町の旧本局舎に青島佐賀町郵便局が設置された。青島守備
軍公報には載っていないが、逓信省よりの設置承認の通知(郵第
1899号、欧第696
号其の1)では、「従来ノ通野戦郵便局及軍用通信所ヲ設置シ野戦局ニ普通郵便局
ヲ併置スルノ形式ニ依ルヲ妥當ト認メラレ候」としている事にも注目したい。


179
櫛型・青島佐賀町
/11.10.19/3-6 タカハシオークション445号より


180 櫛型・青島/9.10.19/0-3 移転後の青島郵便局
所澤町本局差出・支那加刷田沢
3銭貼の天津宛使用例

 この佐賀町の郵便局舎(126参照)は、青島陥落を通して僅か8年ほどの間に、3
カ国の郵便局に使用され、度々その名称を変更している。郵便史の上から見ても、
世界的に稀有な“郵便局舎”といえよう。

1898 1 26 ドイツ青島郵便局として開局
1914 11 7 日本陸軍独立第18師団郵便部第三野戦郵便局として接収
12 中頃 青島守備軍逓信部第一野戦郵便局として引継ぎ
1915 4 1 青島守備軍逓信部青島野戦郵便局と改称
1918 11 21 青島郵便局(普通郵便局)併置
1920 2 3 青島郵便局移転・青島佐賀町郵便局として再開局
1922 12 10 日本郵便局撤退・中国郵便局として引継ぎ

 また、青島郵便局(本局)移転の影響はそれだけではない。本局が近くに移転して
きた青島大港局はその利便性の面から局舎の位置を再考し、その老朽化も考慮し
移転を決定した。葉桜町から北の松根町へ移転改称(青島松根町郵便局)したの
は、
大正9916のことだった。

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