日本切手ノート (52)      16.06.15

★ 米国長崎局「N」のエンタイヤ


 上の画像は6月12日の R.A.Siegel Auction で競売されたカバーです。US$10,000
から15,000の評価でしたが、US$35,000で落札されたとアメリカの友人が教えてくれ
ました。
 説明では、「Very Fine. One of The Few Covers Extant With The “N” Cancellation
of NAGASAKI, JAPAN」 と記載されています。

 アメリカの 2c.3c.12c を貼り、日本の長崎からドイツのハンブルグへ宛てたカバー
です。記述によれば、長崎の「N」で抹消された後、
(1872)年8月22日横浜中継、同9
月13日
桑港中継、同9月21日ニューヨーク中継、同10月4日ハンブルグの到着印が
裏面に有るそうです。

 長崎の米国局は
1867年に開局されましたが、初期の物には長崎を示す郵便局の
印類は何も有りません。長崎と確認出来るのはピナテル商会の私印が有るからで
す。記録によると、長崎の局名を書いた印は
1873年1月24日が最古と記録されてい
ますが、
1873年のカバーも数えるほどしか記録されていないようです。上のカバー
1872年に差出されたものなので、正式な長崎局の最初の印と言えるでしょう。ち
なみに、兵庫の米国局でも「H」の消印が記録されています。

 
下の画像は、Ichida Collection に有ったカバーですが、長崎を1872年8月14日
出航した船で横浜へ運ばれ、
1872年8月22日横浜中継、同10月2日ロンドンの到着
印が有ります。米国2局の中継印が見当たりませんが、同じ船でヨーロッパへ運ば
れたのでしょう。


 昨今、郵便史が見直されていますが、明治黎明期の在日本外国局の変遷にも目
を向けたいものです。

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