日本切手ノート (25) 15.02.26 |
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★ 2.26.事件 |
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67年前の2月26日にその事件は起こった。いわゆる「2.26.事件」である。 郵趣の世界でもこの事件は大きなマテリアルを残している。郵便が止まったのか、 止まったとしたらそれは何時からか、と言った事は専門家に任せて下の封筒を見て 頂きたい。 |
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左の封筒は仙台市宛で、東京の京橋局/11.3.6.の消印で消されている。裏面には 大型の「戒厳令司令部査閲済」の赤印が押されている。右の封筒は横浜市宛で東 京の大崎局/11.3.25.で消され、小型の「戒厳令ニ依リ開緘」の赤印がある。これらの 検閲印以外にも何種かの検閲印が有り、色も赤、青、紫などが知られている。 中央の封筒をご覧頂きたい。東京の日本橋局/11.3.10.の消印であるにも関わら ず、検閲印は無い。全部を検閲したのでなく、抜き取り検査だったのであろう。 2.26.以後郵便は止まったのか、だとすれば何時から再開されたのか、戒厳令の 印は何時から使われて、何日に使用を止めたのか。「日本切手名鑑」に依れば、戒 厳が実施されたのは2月27日から7月17日迄、と書かれている。 |
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2月26日にちなんで日本切手ノートに取上げたが、事件当日の事を書いた中央の 封筒の手紙の文面が面白いので、抜書きしてみよう。 『・・・・・小生出勤の途中、バスが内幸町迄来ますと、突然通行止と成り、銃剣附 の兵隊が、トラックにて、追いかけて参りました。故に仕方なく、バスは引返さんとし ても、通れる路は全部鉄条網にて駄目。故に可成り引返して、西銀座迄行きました が、此時は、最早、大変な混雑にて、いつも静かな此通も、一杯の人出、辻には、 警備の兵士の姿も見えました。此迄は良いのですが、中に乗って居た乗客は、出勤 時間の関係にて殺気だち、故に仕方なく、市営バスが乗客の命のままに、あちらの 会社、こちらの会社の前に横付けと、まるで、割勘の円タクの如く動きました。之な んか仲々見られぬ景色と、俄然うれしく成りました。・・・・・』 (原文のまま) 此の手紙が検閲されていたら、無事に通過したでしょうか、しなかったでしょうか。 |
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