日本切手ノート (24) 15.02.21 |
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★ 「縞紙の20銭」のピン・ホール |
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「縞紙の20銭」として有名な和桜赤紫20銭縞紙政府印刷について調べてみた。 この切手は現存20枚余りと言われ、手彫切手の中でも大珍品として知られてい る。しかし、その素性については不明な点も多い。今回はこの切手のピン・ホールに ついて書いてみよう。 |
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左の画像は英国にお住まいだった故シャピロ氏の収集品だった。この切手にはピ ン・ホールが認められる。手彫専門型録の分類に依るとタイプBである。従って位置 は33番になる。(尤もタイプEとなれば15番になるのだが、今回はこれは考えない。) 右の画像は故ウッドワード氏のコレクションにあったもので、1939年の競売で売られ ている。この競売の説明の中で「この切手は1番切手で大きな穴が開いている。」と 書かれている。ウッドワード氏は和桜紫20銭松田印刷のシートをお持ちだったの で、1番切手の確認は取れている筈である。しかし、この写真では穴の位置の確認 は取れない。 市田博士の名著「桜切手」を開いてみた。その中には「一例だけだが、この切手の ピン・ホールはタイプAである。」と書かれている。市田博士がお持ちだった縞紙の20 銭は同じ競売で売られた40番切手だった。この40番切手についての競売型録の記 述には、穴(ピン・ホール)があるとは書かれていない。あれば1番切手のように記述 されている筈である。だが、タイプAの穴だったら、ウッドワード氏が見逃したとも考 えられる。市田博士の一例とはこのどちらかの切手の事と思われるが、今となって は確認は困難である。右の1番切手の画像を見る限りでは左上の角にピン・ホール が有るようには見えない。この切手は現在誰のコレクションに納まっているのだろ う。しかし、上記の40番切手の所在は確認されている。現在は収集を休止中との事 だが、連絡を取って調査してみたいと思う。 いつ印刷されたか確認の取れない今では、政府印刷で同時期と思われる切手で 推測するしかあるまい。 最初期使用例が明治7年のものを拾ってみた。
この様に書いてみると市田博士のタイプA説は首を傾げたくなる。タイプFをAと思 われたのであれば問題は更に複雑になる。何れにしろウッドワード氏の所有してい た1番と40番切手を見てみたいものである。 さて、日本切手ノート(22)で書いた「鳥紅45銭イの再刻」について、早速、祖父江氏 よりお話があった。現在、氏のコレクションに鎮座しているとの事。しかし、その切手 には中央の濁点が見当たらない。この事から考察すると、この再刻は印刷時に既 に成されていたのではないだろうか。そして、印刷が進むにつれて中央の濁点が現 れたか、また、再刻されたかと考えられる。もう少し沢山の現物を確認したい切手 である。祖父江さん、有難うございました。 |
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