第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 93 07.05.10 |
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13) 大阪俘虜収容所(その4) |
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(大阪差立許可切手) 俘虜郵便収集家に板東収容所切手に次いで注目されているのは、大阪差立許可 切手であろう。ルーファー&ルンガス本の記録では5種が確認されているが、いず れも使用例が少なくその性格もはっきりしていなかった。同本では、将校俘虜専用 差出許可切手というFoerste氏の意見に対して否定的な見解を述べている。しかし ながら、筆者の確認した12点の使用例の内、7点が将校差出であり(将校以外2点 他3点は不明)、大阪収容所の将校の割合から考えると(俘虜数約545名の内、将 校約30名)、やはり将校に優先的に配布された物と考えた方が分かりやすい。この 切手を使用すれば、月毎の差出制限に係わらず自由に俘虜郵便を差出できたと考 えられるので、通常の俘虜郵便の残存数を考慮すれば、一般の俘虜に平等に配布 したとは考えにくい。 ルーファー&ルンガス本では、目打(10.5)、シート構成は3×3の9面と推定されて いる。筆者確認の12点の内、四周目打は2点だけなのでおそらく正しいだろう。再利 用を防ぐ為か、検閲印か郵便印で割印されているものが多いが、割印の無い使用 例もあり、この少ない使用例だけでは郵便規則として意味があるとは思えない。種 別に筆者確認数を書いてみるが、外国のオークション等で他の使用例も散見してい るので、あくまで目安としてほしい。 1) 丸型赤印「俘虜郵便」 筆者確認数3点(1915年5月) |
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図387 |
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図387は、大正4年(1915年)5月27日大阪堀江局発、海軍砲兵隊第五中 隊海軍中尉グリーベル(Gottfried Griebel・Oberleutnant zue See・ 5K/MAK/Batt.1a.)差出、熊本収容所の海兵中隊の(Franz Truemper・MK)宛の俘 虜郵便葉書。差出許可切手の目打が四周のもの。 2) 楕円紫印「俘虜郵便・OSAKA」 筆者確認数5点(1915年4月〜1916年4月) (ルーファー&ルンガス本では10点の確認) |
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図388 |
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図388は、大正5年(1916年)4月30日大阪堀江局発、海軍砲兵隊第三中隊予備役 海軍少尉ベーリング(Bernhard Baehring・3K/MAK・Leutnant zur See d.Res.)差出、 ドイツ宛の俘虜郵便葉書。目打は左下二辺のみ。 3) 楕円赤印「俘虜郵便・OSAKA」 筆者確認無し (ルーファー&ルンガス本では1点確認) 4) 四角紫印「俘虜郵便・OSAKA」 筆者確認1点(1915年9月) (ルーファー&ルンガス本では2点の確認) |
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図389 |
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図389は、大正4年(1915年)9月2日大阪堀江局発、第三海兵大隊第五中隊海軍歩 兵中尉リーディンガー(Guenther Riedinger・5K/VSB・Oberleutnant d.Mar.Inf)差 出、ドイツの親類宛の俘虜郵便。目打は四周のもの。 5) 四角赤印「俘虜郵便・OSAKA」 筆者確認3点(1916年5月〜7月) (ルーファー&ルンガス本では5点の確認) |
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図390 |
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図390は、大正5年(1916年)7月1日大阪堀江局発、海軍砲兵隊海軍少主計ブリュ ゼホフ(Adolf Bruesehof・MAK・Marinezahlmeister)差出、ドイツの親類宛の俘虜郵 便。目打は左下の二辺のみ。 |
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