第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 91 07.03.28 |
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13) 大阪俘虜収容所(その2) |
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図378 大阪俘虜収容所楽団 |
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図379 雪ダルマと俘虜 |
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大阪収容所でも、収容所製の各種封皮、葉書が俘虜に配布されている。今回は、 代表的なものを幾つか紹介しよう。 |
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図380 |
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図380は、四角型の俘虜郵便表示と“SDPDG”印が印刷された封筒である。大正5 年5月27日大阪局中継、国民軍のノイエンドルフ(Paul Neuendorff・Landsturm) 差出、米国宛。検閲印タイプV。 |
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図381 |
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図381は、青色楕円横型の俘虜郵便表示が印刷された、初期通信用葉書。使用 例は比較的少なく、大正4年中の使用例が殆どである。罫線や、差出人名欄などの 印刷は無く、”SDPDG“印も別途押印されている。大正4年11月27日大阪堀江局差 出、国民軍のグレックラー(August Gloeckler・Landsturm)差出、ドイツ宛。 |
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図382 |
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図382は、青色楕円縦型の俘虜郵便表示の他、新たに差出人名欄、“SDPDG”が 印刷された、新通信用葉書。大正5年から使用され、初期横型よりは使用例も多 い。大正5年3月24日大阪堀江局差出、国民軍のシュタインデッカー (Arthur Steindecker・Landsturm)差出、上海のロイド社宛。1915年9月に青島から 移送された、追加収容俘虜。文面には上海からの新聞送付のお礼や、収容所から は月に葉書2通、封書2通しか郵便差出ができないと記してある。 |
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