第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 75 05.03.06 |
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07) 青島陥落後のドイツ俘虜(その3) |
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ワルデック總督以下俘虜五百九十一名を載せたる薩摩丸は輸送指揮官上村中 尉以下下士卒二十名に護送せられ十七日午前八時門司に入港せり、内将校クレマ ン少佐以下九名、下士卒三百六名は同船にて高濱に向ひ准士官一名卒二十名は 熊本に、将校八名、准士官十名、下士卒二百七名ワルデック總督一行三十名は午 後零時五十分發福岡に護送せられたり(11月18日、東京朝日新聞) 薩摩丸船上では、ワルデック総督の記者インタビューも行われ、11月18日付各誌 に掲載されている。薩摩丸は17日朝門司に入港し、俘虜は各地収容所に護送され ている。 ヨーロッパ丸は、11月18日早朝、広島宇品港に入港、俘虜は検疫の為船で待機さ せられ、翌19日より姫路、名古屋方面など各地収容所に同じく護送されている。 |
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図280 日本に向かうヨーロッパ丸船上のドイツ俘虜 |
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青島陥落後のドイツ俘虜第一陣が日本に到着した11月17日の段階では、久留米 (10月6日)、福岡、熊本、松山、丸亀、姫路、大阪、名古屋、東京(11月11日)の各 収容所が開設されていた。また、12月3日静岡、徳島、大分に収容所が追加開設さ れている。 俘虜郵便の記録については、筆者の確認している最古使用例は、10月9日に久留 米に護送されたドイツ俘虜第一陣55名の代表、グラボー中尉(久留米収容所京町 梅林寺)が書いたものがある。文面日付は11月7日、検閲の為に遅れたのであろう か、久留米郵便局の日付印は11月12日付となっている。 |
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図281 ドイツ俘虜の郵便・1978・駅逓郵趣会 |
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可能性としては、俘虜情報局事務開始の9月25日が理論上の初日になるが、現実 的には久留米収容所に第一陣55名が到着した10月9日以降ということになろう。し かしながら現時点では筆者のしるところ10月の使用例は確認されておらず、11月中 であれば極初期使用例、大正3年内であれば十分初期使用例といってよい。 ここで、11月20日付東京朝日新聞記事のなかに、ワルデック総督初差出の俘虜 郵便についての記録があるので紹介したい。 |
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図282 |
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(ワ總督、愛妻への手紙 収容所到着以來最初の發信) 軍帽を戴き丸腰にて洋杖を携へ副官カイゼル少佐を随へ静かに階段を降り來り 自ら俘虜収容所事務所の扉を排して居合せたる鈴木少尉に向ひ開封の書翰を差 出して底力のある獨逸語にて「是を郵便に出して貰ひたい」と言へり之れぞ福岡に 到着以來北京に在る夫人に宛たる最初の手紙なり總督は書翰を卓上に差置ける 後言葉を和らげ「是は妻に息子の消息を尋ぬる手紙です」と云ひて憮然たりしが總 督は軈て莞爾とし一同目禮し副官を差招き室外に出でたり |
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