日独戦争と俘虜郵便の時代 56 04.04.15 |
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29) 山東撤退(その1) |
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日本はヴェルサイユ講和会議(1919年・大正8年)において、山東旧ドイツ租借地 及び山東鉄道沿線地域の専管居留地化を条件に中国への山東還付を提案した が、中国やアメリカの強硬な反対により国際的な合意を得ることは出来なかった。 そして、第一次世界大戦後のアジア太平洋地域における、列強間の関係を調整す る為に開かれたワシントン会議(1921〜1922年・大正10〜11年)により、日本は“専 管居留地”を実現する事無く山東利権を手放す事になったのである。 |
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ワシントン会議における九ケ国条約に付帯し、会議参加国間に協定された「支那 國ニ於ケル外國郵便局ニ関スル決議」により、日英米仏の在中国郵便局は1923年 (大正12年)1月1日迄に撤廃される事が決まった。租借地内にあるもの又は条約 により特に規定されているものは除かれ、また、中国が自ら現状の郵便業務を維持 発展させる事、在留外国人の現状地位の保障等が条件として挙げられている。 ワシントン会議では、山東問題について日中間で個別の会議が行われ、1922年 (大正11年)2月4日、両国間に「山東懸案解決ニ関スル条約」が締結された。旧ドイ ツ租借地内の日本郵便局は地域行政の移転と同時に、租借地外の郵便局は1923 年1月1日迄に撤廃する事が確認され、明治43年2月に両国間に締結されていた日 支郵便約定(日清郵便約定)等の改訂も協議される事になった。この改訂に関して は、その後北京において度重なる協議が行われる事になるが、「南満州鉄道付属 地郵便協定」が議論の中心になっている。(1922年・大正11年12月8日、日華郵便 約定締結) ・山東撤退と引継ぎ 山東の逓信部所管業務の内“郵便”については、1922年(大正11年)12月10日正 午の行政権の移転とともに日本側郵便局の業務を停止し、在来日本郵便局のうち 青島本局、佐賀町、臺東鎮、四方の4局舎において中国側引継ぎが行われ、同日 付で中国郵便局として業務が開始された。また、租借地外の日本郵便局も電信電 話事務を除き原則12月10日迄に、守備軍の撤退に伴い順次廃局したと考えられ る。 12月10日正午、所澤町の青島郵便局(本局)では在来中国青島郵便局の同所移 転とともに、日中逓信部代表による逓信業務引継式が行われ、日本側代表として 逓信部長代理逓信部経理課長逓信事務官高槻文彌、青島郵便局長逓信事務官 中川傳治、同郵便課長逓信事務官久富宗憲、同電信電話課長逓信事務官石井鎖 一郎、中国側代表として支那新任青島郵便局長服部幸之助、支那郵政官屠家燐 (実際は糸偏)が出席している。服部氏は、旧ドイツ租借地時代の支那青島郵便電 信局長であり、日独戦争後は支那顧問官として青島に居住していた。 |
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図221 |
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図221は、その引継式で作成された記念品で、支那字入青分銅葉書に日本青島 郵便局の最終日櫛型印が押され、その下に中国帆船切手を貼付のうえ中国青島 郵便局の同日付引継初日印が押されている。また、支那青島郵便局長服部幸之助 の直筆署名が添えられている。(K.Hattori Postmaster C.P.O. Tsingtau) |
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