日独戦争と俘虜郵便の時代 50 04.01.13 |
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25) 青島守備軍の軍事郵便局 |
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大正9年2月21日、旧ドイツ租借地外に設置されていた済南、維縣(三水の維)以 外の(普通郵便局の併設の無い)野戦郵便局は、“軍事郵便局”と改称されている。 膠州、高密、坊子、張店、張店鉄山出張所(改称後の開局・開局日不明)、溜川炭 鉱、青州、張店第二(博山)、張店第三(周村)、膠州第二(城陽)である。今回の調 査では、軍事郵便局への改称理由を明らかにする公的資料の発見はできなかった が、前回述べた“秘密局”問題が大きな原因のひとつである事は間違いないだろう。 また、これらの局が軍事郵便局と改称した事は、青島守備軍公報には告示されて いない。青島守備軍公報は中国語版も作られており(当然中国当局も入手していた と考えられる)、中国側を刺激する事を避けたと考えられる。 改称理由としては、「既に第一次世界大戦の講和条約が調印(大正8年[1919]、6 月28日)されている以上、戦時状態の継続を想像させる“野戦郵便局”から、純粋な 軍事施設を示す“軍事郵便局”へ改称した」というものが一般的な解釈として挙げら れている。 青島守備軍は、(大正7年10月10日)「山東日支通信連絡細項取極メ」に於いて、 「講和条約の実現とともに支那より野戦局撤廃の要求があっても、日本軍の該当地 域撤退までは存続させる」と中国側に認めさせている。青島守備軍が山東撤退を前 提として駐留し、その撤退までの期間、旧ドイツ租借地外の野戦郵便局を“普通郵 便事務を伴わない純粋な軍事施設”として中国当局に認めさせたのならば、租借地 内のように普通郵便局の設置はできないし、当然“軍事郵便”しか取扱うことは出来 なくなったはずである。 しかし現実には、これらの野戦郵便局では、軍事郵便物の減少、普通郵便事務の 増加という傾向にあり、中国当局が普通郵便事務の存在を黙認してきたとしても、 青島守備軍が、“秘密局”に対する中国側抗議問題により、対中国対策の再考を余 儀なくされたことは充分考えられる。青島守備軍にとって譲れない点としては、旧ド イツ租借地外の各局において、継続して“普通郵便事務を取扱う”ことであった。 筆者は、“野戦郵便局”から“軍事郵便局”への改称理由のひとつに、これらの“普 通郵便事務”の偽装工作の一面もあったのではないかと考えている。青島守備軍 は博山の秘密局問題で、「帝国軍衛官吏職工御用商人等の存在する以上、軍事郵 便の取扱いを行う事は出来ると解釈」と明言し、軍人以外の“軍属”の軍事郵便利 用を強調している。つまり、“軍事郵便局”と改称する事により、公衆の普通郵便物 (及び小為替原符等)上に抹消日付印を利用し“軍事”の表示(D欄軍事)ができれ ば、仮に中国側抗議が起こっても“軍属”の“軍事郵便物”であると反論できる、とい う事である。 「D欄軍事」印は、郵便日付印では、A欄地名・B欄日付・C欄時刻・D欄「軍事」、同 為替日付印では、C欄為替記号(青○)が使用された。 |
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図192 櫛型・張店/10.12.3. D欄「軍事」 支那字入旧毛4銭の使用例、為替印の可能性が高い |
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図193 膠州軍事郵便局、民間人差出使用例 櫛型・膠州/9.5.5./時刻 D欄「軍事」 |
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本来同局の民間人差出普通郵便は、「山東日支通信連絡細項取極メ」で合意の 無い、違法郵便である。 |
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図194 青州軍事郵便局、守備軍兵士差出有料便 櫛型・青州/10.8.13./時刻 D欄「軍事」 |
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大正10年4月1日より、青島守備軍管内では軍事郵便取扱制限が施行され、従来 の無料軍事郵便制度は廃止、軍事郵便証票(軍事切手・3銭)の使用が開始され た。軍事切手利用の軍事郵便物は1種便に限定された為、2種便は守備軍兵士差 出でも有料便となった。 |
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