日独戦争と俘虜郵便の時代 43 03.10.07 |
|||||
21) 時刻入野戦郵便局日付印 |
|||||
戦後の占領政策が軌道に乗ると、青島市内に加え山東鉄道沿線各地に日本民 間人の流入が始まった。大正7年になると郵便物も飛躍的に増加し、使用する日付 印にも時刻表示をつけることになった。(従来の野戦郵便局印はA欄地名・B欄日 付・C欄「野戦局」) 大正7年9月頃より、A欄地名・B欄日付・C欄時刻・D欄「野戦」(以下D欄野戦印)と 表示のある形式の日付印に変更された。租借地内各局と維県(三水の維)、済南局 は同年11月20日まで(11月21日より普通郵便局開設)の約3ヶ月間使用されたと考 えられているが、未確認局もありデータの発表が待たれている。特に青島埠頭局 (臨時出張所)は、局独自の日付印(D欄野戦印)を使用したか疑問をもつ研究者も 多い。 |
|||||
|
|||||
一方、維県(三水の維)、済南を除く租借地外の各野戦郵便局でも、同様にこの日 付印(D欄野戦印)が大正7年9月頃から使用された。租借地外のこれらの各局は、 普通郵便局は併設されなかったので、大正9年2月20日まで(大正9年2月21日より これらの野戦郵便局は軍事郵便局と改称)この日付印(D欄野戦印)が使用された と考えられている。 |
|||||
|
|||||
|
|||||
この他、大正8年になってから開設された、張店第二(博山)、張店第三(周村)、 膠州第二(城陽)の各野戦郵便局でも、この日付印(D欄野戦印)が使用されたと考 えられている。 |
|||||
図164 |
|||||
図164は、支那字入旧毛4銭の単片使用例。A・D欄しか見えないが、張店第三・D 欄野戦 と確認できる。為替印の可能性もあるが、同局がD欄野戦印を使用したこと がわかる。 |
|||||
ご意見・ご感想は当社まで メール でお願い致します。 目次へ |