日独戦争と俘虜郵便の時代 33      03.06.25

15) 青島の地名変更

 大正3(1914)1117、独立第十八師団は、旧ドイツ青島総督府へ司令部を
移転し、同日青島占領地に青島守備軍司令官を置く件を決定した。また、
19には
神尾司令官の名のもと、青島及び李村に軍政を布くことが正式に発布された。
(軍令第一号)

 青島の占領政策はこのようにして始まったが、司令部において最初に詮議された
事のひとつに、旧ドイツ租借地内ドイツ語地名の日本語名への変更があった。原則
として中国語地名は引続き使用され、ドイツ語地名の変更は司令部に一任される
事になった。日本を象徴する名称や、独立第十八師団及び青島攻略作戦に参加し
た膠州湾封鎖艦隊(第二艦隊)に因んだ名称をつけることが提案され、
1120
り青島攻略戦において象徴的な地名、続いて青島市街各地名等の名称変更が行
われている。


図115

旧ドイツ膠州湾総督官邸と無線電信信号所のあった「デイデル山」(115ディ
ーデリッヒ山、初代ドイツ膠州湾総督ディーデリッヒに因んで名づけられた)は、
神尾司令官に因んで「神尾山」となった。旧総督官邸は日本占領時代には青
島守備軍司令長官邸として使用されている。また、その建物は現在も中国青
島迎賓館として利用されており、神尾山は観光名所のひとつである「信号山」
(信号山公園)となっている。
「イルチス山」は「朝日山、又は旭山」(現中山公園内の「太平山」)
「ビスマルク山」は「萬年山」(現青島山公園内「青島山」)
「モルトケ山」は「若鶴山」(現貯水山公園内「貯水山」)
「アルコナ島」(青島湾内小島)は加藤中将に因んで「加藤島」(現小青島)

 青島市街の地名も、混乱を避ける為主要な中国語地名は引続き使用された。ドイ
ツ語地名の変更については、主に独立第十八師団の各部隊出身地から命名され
た為、日本各地の地名がつけられたが、その多くは久留米師団の地名(九州地方)
であった。

図116 大村町 図117 佐世保町
図118 佐賀町 図119 下ノ関町


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