日独戦争と俘虜郵便の時代 24 03.04.21. |
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12) ドイツ青島要塞攻略 攻城軍配置 |
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図76 |
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大正3年9月28日、日本軍はドイツ軍前進基地である狐山、及び浮山の占領を完 了し、青島攻略戦の準備にかかった。また、青島攻略戦と並行して、ドイツが経営し ていた山東鉄道(青島―済南間)の占領接収を開始し、10月7日までに膠州停車場 より済南府停車場までの掌握を完了した。(図76 青島停車場) 一方、加藤中将率いる第二艦隊は、膠州湾封鎖以来イギリス海軍とともに艦砲射 |
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図77 |
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日本軍による青島攻城戦計画は10月7日に立案、10日兵力配置を開始、24日配 置を終え神尾中将により各部隊へ作戦命令が示された。ドイツ側防御線は、青島 市街を正面に見て、右よりモルトケ砲台、ビスマルク砲台、イルチス砲台の三つの 砲台がドイツ軍中枢部及び青島市街を囲むように鎮座している。何れの砲台も小高 い山の山頂に設置され、これら砲台陣地を攻略することが最初の目標であった。 (図77 攻略時のドイツ青島付近図) 日本軍は、右翼隊に第二十九旅団長浄法寺少将率いる浜松連隊第一・第二大 隊、及び静岡連隊第二大隊が膠州湾海岸堡塁とモルトケ砲台の攻撃部隊として。 第一中央隊には伊庭中尉率いる工兵一箇小隊・英国軍が臺東鎮堡塁へ。第二中 央隊には第二十四旅団長山田少将率いる久留米第四十八・五十六連隊が中央堡 塁・モルトケ・ビスマルク・イルチス各砲台攻撃部隊として。左翼隊には第二十三旅 団長堀内少将率いる佐賀第五十五連隊・大村第四十六連隊が小湛山の各堡塁・イ ルチス砲台の攻撃部隊として。さらに独立工兵四箇大隊が各軍に分かれて配置に ついた。 |
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図78 |
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一方、ドイツ側防衛線の配置は、右翼・第一中央隊正面にクーロ中佐率いる歩兵 約750名、機関銃約20。第二中央隊正面にクレーマン少佐(後の板東俘虜収容所ドイ ツ側代表先任将校)率いる歩兵約700名、機関銃約20。左翼隊正面にアンデルス 少佐率いる歩兵約850名、機関銃約20。その後ろに砲兵隊が各砲台に配置されてい た。(図78 ドイツ軍の誇った二十八珊加農砲、28サンチキャノン砲) |
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