日独戦争と俘虜郵便の時代 17
      03.03.05.

8) 特務艦隊の活躍 地中海編(その5)

 岸中尉の帰国と時を同じくして、
1918年(大正7年)11月3日ドイツキール港でドイツ
水兵の反乱が起き、
翌4日よりドイツ革命が始まる。9月末にブルガリア、10月末
トルコ、
11月4日にはオーストリア・ハンガリーも連合国側に降伏していた。11月10
ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世はオランダに亡命、そして、翌11日遂にドイツは連合
国とパリで休戦協定に調印したのである。第二特務艦隊は、その後も暫く地中海の
警備を続け、ヴェルサイユ講和会議(
1919年1月18日〜6月28日調印、7月9日ドイ
ツ国民議会批准)が始まると、イギリス・ベルギー・フランス・イタリア等の連合国の
港へ凱旋訪問し、日本の第一次世界大戦参戦をアピールする事を忘れなかった。


図51

 (図51、日本製の講和会議調印記念絵葉書。右よりイタリア皇帝ヴィクトリオ・エマ
ヌエル3世、フランス大統領レーモン・ボアンカレ、イギリス皇帝ジョージ5世、アメリ
カ大統領ウィルソン、ベルギー皇帝アルベール)

 巡洋艦出雲がイギリスへ向かった為、佐藤司令官は1918年11月26日に第二特務
艦隊に編入された巡洋艦日進に臨時に将旗を掲げ、旗艦として駆逐艦楠、梅、桃、
樫、柏を従えて、
同12月5日、欧亜の接点トルコ帝国の首都コンスタンチノープル
(現イスタンブール)へ向かった。
 トルコが同盟国側にたち参戦した背景には複雑な歴史がある。18世紀以降常に
世界の火薬庫の一つに数えられ、20世紀に入り日露戦争後ロシアのトルコ利権へ
の干渉、リビア問題による伊土戦争
(1911)、第一次世界大戦の発端となったバルカ
ン戦争
(1912年〜13年)によるバルカン諸国間の亀裂等も、全てトルコ帝国の衰退が
引き金となっていた。世界大戦勃発後はフランス、ロシア、イギリス、イタリア、ギリ
シャ等の干渉を警戒したトルコはドイツへの依存度を高め
1914年10月29日ロシア艦
隊を砲撃、
翌30日ロシアはトルコに宣戦、イギリスも11月5日トルコに宣戦キプロス
島を併合した。トルコはブルガリアと共に同盟国側にたったが、バルカン半島からイ
ラン、イラク方面も含めトルコ戦線は民族問題も絡み複雑なものになった。


図52

 (図52)旧大正毛紙貼、1915年12月9日(切手抹消日)に神戸よりトルコの首都コン
スタンチノープル宛に差出された使用例。この時期、日本からはどのルートからも到
達不能で送達が保留されている。付箋上には手書きの"Transmission in
suspended"と共に抹消印と同じ、欧文櫛型・KOBE/9.12.15./JAPANが押されてい
る。

 
1918年12月6日トルコに向かっていた巡洋艦日進、他駆逐艦五隻はダーダネルス
海峡を無事通過し、君府の宮殿と呼ばれたサルタン宮殿前に投錨、連合国海軍先
任司令長官の指揮下に入り、休戦監視作業を行った。地中海遠征第二特務艦隊の
入港や兵員の上陸を、トルコ陸海軍と一般市民は非常に歓迎したらしい。複雑なバ
ルカンの歴史に関係のない日本はたまたま敵になっただけで、嘗て大国ロシアを破
ったアジア人である日本に、ある種尊敬の念に近い好意を持っていたようである。
それに対して、特にイギリス海軍には露骨に敵意を表す若者も多かったという。そ
の後第二特務艦隊は、各国訪問を終え戦利品と共に
翌1919年4月帰国の為順次
マルタを発つ事になった。

第二特務艦隊についてのこぼれ話を三つ

 @  北九州市若松区、洞海湾若松港口に俗称「軍艦防波堤」という名の防波
   堤がある。これは、三隻の旧帝国海軍駆逐艦(柳、冬月、涼月)を埋めて防
   波堤としたもので、そのうちの一隻は第十五駆逐隊(後の第二十四駆逐隊)
   に所属し地中海に遠征した駆逐艦柳である。駆逐艦柳(初代)は
昭和15年5
   月1日
に軍籍を除籍となり、佐世保旧制中学の軍事教練等に使われてい
   た。太平洋戦争終結後は、武装撤去の上放置されていたが、
昭和23年
   松港の防波堤工事に利用され埋め立てられた。これら駆逐艦の慰霊碑も
   
昭和33年同所に建立されている。現在地上に出ているのは柳だけで、腐食
   倒壊寸前だったが、
平成12年度に修復され今に至っている。

 A  同じく第十五駆逐隊(第二十四駆逐隊)所属、駆逐艦樫は、
昭和12年5月
   1日
軍籍を除籍、艦名"海威"(Hai Wei)として満州帝国海上警察隊へ譲渡さ
   れた。太平洋戦争開戦後の
昭和17年6月29日に日本海軍へ満州籍のまま
   徴用(艦名"海威"かいい)されたが、幻の満州国海軍最大の艦艇として記録
   されている。
昭和19年10月10日、沖縄付近で米軍機により撃沈されている。

 B  靖国神社拝殿の両脇に建てられている大石灯篭(左・陸軍、右・海軍)に
   は、日清戦争より日華事変までの戦没レリーフが埋め込まれている。海軍
   の第一次世界大戦(日独戦争)より選ばれたモチーフは、"遣欧艦隊第二特
   務艦隊地中海遠征"であり、この遠征の成功が日本海軍にとっていかに大
   きな意味をもっていたかが分かる。


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