第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 105 08.11.10 |
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16) 丸亀俘虜収容所(その1) |
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(丸亀収容所)
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大正3年11月16日多度津港に324名が福寿丸にて到着。仲多度郡六郷村に収容所が 設置され、塩屋本願寺別院に准士官以下300余名、船頭町収容所に将校俘虜を収容し た。収容所移転の為、大正6年4月7日多度津港出港、同日小松島港到着、板東収容所 へ向かう。 (収容所事務所・尾崎家) 仲多度郡六郷村の塩屋民家を借用して設置した。収容所所長以下丸亀歩兵第十二 連隊が主な任務についた。 (船頭町看護婦養成所跡) 将校俘虜の収容所。第三海兵大隊第二中隊長ランツェレ大尉(Waldemar Lancelle・2K/ VSB)を先任将校とし、将校7名他従卒者数名が収容された。 (西本願寺塩屋別院) 開設時には准士官以下約310名が収容された。 |
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図253 塩屋別院・板東収容所俘虜製収容所地図より |
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図254 塩屋別院表門より俘虜の行進 |
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大正3年11月の使用例では、検閲印が確認されていない。4文字の俘虜郵便表示印 (図255)と同欧文表示印のみである。12月から枠付3文字検閲印(図256)が使用され た。3文字検閲印では、そのほとんどに福島検閲官の印が見られる。これらの印色は 11月から12月の初期にはすべて朱色で、12月中頃より赤色が多くなる。 |
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図257 |
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図257は、大正3年11月23日丸亀局発、第三海兵大隊第七中隊のヴァルター(Paul Walther・7K/VSB)差出の丸亀収容所差出最初期使用例。ヴァルターはジームセン青 島支店勤務で、戦争前には日本にも度々出張経験を持つ。受取人は日本軍により接収 された青島守備軍病院(旧ドイツ膠州湾総督府衛戍病院)の傷病兵で、同じ第七中隊 のイェプセン(Hans Jebsen・7K/VSB)である。収容所開設直後で受取人が青島の傷病 兵であるので、この俘虜郵便は東京の俘虜情報局で検閲後、青島へ送られている。 11月の使用例では丸亀収容所の3文字検閲印は確認されていない。俘虜情報局の初 期検閲印と、第三野戦郵便局の到着印が押されている、非常に貴重な使用例といえよ う。 |
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図258 |
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図258は、大正4年8月15日丸亀局発、第三海兵大隊第七中隊のブッシュ(Alfred Busch・7K/VSB)差出天津のドイツ人宛。3文字検閲印の後期使用例。 |
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