第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 100 07.12.08 |
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15) 松山俘虜収容所(その2) |
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初期郵便検閲印は、大正3年11月より大正4年3月まで、楕円朱色の3文字検査済 印(図430)が使用されている。同時期には四角枠付朱色の俘虜郵便表示印(図 431)が併用されている。 |
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図432 |
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図432は、大正3年12月13日松山局発、第三海兵大隊第六中隊のベーアヴァルト (Ernst Baerwald・6K/VSB)差出、イタリア宛。松山収容所差出初期使用。 |
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図433 図434 |
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収容所名入検閲印は、筆者の確認した使用例では、楕円緑印(図433)が大正4年 4月より11月頃まで、楕円紫印(図434)が大正4年10月頃より閉鎖まで使用されてい る。同時に“SDPDG” 赤印も使用されている。 |
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図435 |
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図435、大正4年9月3日松山局発、第三海兵大隊第六中隊のケーバライン (Wilhelm Koeberlein・6K/SB)差出ドイツ宛。ケーバラインは板東収容所タパタオで 写真屋を営んだ。楕円緑検閲印の使用例。 |
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図436 |
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図436は、大正4年10月20日松山局発、要塞築城部曹長ファウル(Ernst Faul・ Festungsbau-Feldwebel,Fortifikation)差出ドイツの親類宛。楕円紫検閲印の使用 例。 |
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