日独戦争と俘虜郵便の時代 1 02.12.25 |
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1) 第一次世界大戦の勃発(その1) |
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1914年6月28日の日曜日、セルビアの首都サラエボに一発の銃声が響き渡った。 この地方の陸軍大演習の帰途、同地に立ち寄ったオーストリア皇太子フランツ・フェ ルディナント大公が、セルビア民族主義者の青年の銃弾に倒れたのである。この日 を境にヨーロッパから世界へ、四年半に渡る暗い戦争の時代が始まったのだ。詳し い話は歴史家に任せるとして、ここでは、1914年(大正3年)中の各国の対峙状況を 簡単に書いておこう。 |
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図1 |
図2 |
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図3 |
図4 |
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図1のカバーは、26銭を貼った横浜(1914年7月13日抹消)からベルギーのブリュ ッセル宛(その後転送)の書留便で、第一次世界大戦勃発直前のシベリア鉄道ルー トをぎりぎりすり抜けている。 到着印(図2)はブリュッセルのものだが、その日付は大戦が始まった7月28日とい う歴史的なものになった。ドイツ軍がベルギーに侵攻するのは、1週間後の事であ る。 中立国であるはずのベルギーがドイツに侵攻されると、ベルギーやフランス北部 の人民はフランス南部へ避難を開始した。この道中では多くの悲劇的な話があるよ うだが、そんな中に無事避難に成功する1人の日本人がいた。 (図3)1914年10月05日(文面日付は6日、誤植か?)にフランス中部ディジョンへの 避難途中に差出した両親への安否報告の葉書である。8月11日に急遽加刷発行さ れたフランス種蒔付加金付10+5cが貼られている。何の為に付加金を付けて発行し たのかは、ドイツが8月3日にフランスに宣戦、フランスも8月11日オーストリア・ハン ガリーへ宣戦した、ということから容易に想像出来る。この葉書は、パリ中継印が押 されマルセイユ経由指定で、2ヶ月後の12月3日に無事日本に到着した。 また、この葉書はベルギーからフランスへの避難民を撮影したもので(図4)、10月 の時点で早くもこのような葉書が作られ、避難民自身が利用していた事などは興味 深いものがある。余談だが、この差出人は他の郵便物により、1次大戦後まで無事 でいた事がわかっている。 |
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