第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 90 07.03.27 |
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13) 大阪俘虜収容所(その1) |
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大阪収容所
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図368 大阪俘虜収容所 |
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大正3年11月16日に台東丸により第一陣俘虜到着。収容所施設は大阪市西区南 恩賀島町(木津川下流)の大阪府警察部衛生管理隔離廠舎が利用された。その後 青島より追加俘虜も受入れ、最大時俘虜数約550名を数えた。大正5年3月28日の 火災では15棟を焼失し、俘虜達に広い運動場を提供することとなった。大正6年2月 18日に俘虜は似島収容所に移動、19日に閉鎖された。 郵便検閲印については、収容所名入検閲印は作られず、3文字“検閲済”印が使 用されており、3種が知られている。タイプT(朱印)は、大正3年11月より大正4年5 月頃までの使用例があり、その後タイプU(朱印)に変わり、同年7月頃からタイプ V(赤印)も使われた。タイプUとVの使用期間は重複している。また、タイプVの 検閲印は、似島収容所でも引続き使用されている。 |
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大阪収容所では3文字検閲印の他、収容所名入の俘虜郵便表示印が各種使用さ れている。 タイプTは、朱色の初期二重丸型で、大正3年11月より大正5年8月迄の記録があ る。(筆者確認は、大正4年5月迄)その後、大正4年6月頃よりタイプU赤色楕円型、 及びタイプV赤色四角型の表示印が、収容所閉鎖まで使用されている。その他、赤 色“SDPDG”印も使用されている。 |
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図375 |
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図375は、大正3年12月11日大阪堀江局発、海軍砲兵隊第二中隊のエーエゲッツ (Karl F. Ehegoetz・2K/MAK)差出の初期使用例。検閲印タイプT、俘虜郵便表示 印タイプT。 |
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図376 |
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図376は、大正4年10月4日大阪堀江局差出、海軍砲兵隊第二中隊のプライス (August Preis・2K/MAK)差出、ドイツ宛。検閲印タイプU、俘虜郵便表示印 タイプU。 |
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図377 |
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図377は、大正4年7月20日大阪堀江局差出、海軍砲兵隊第一中隊のプレヒト (Karl Precht・1K/MAK)差出、ドイツ宛。検閲印タイプV、俘虜郵便表示印 タイプV。 |
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