第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 77      05.05.12

08) 俘虜郵便の検閲(その2)

 前回、俘虜郵便の検閲による没収例等を、幾つか具体例をあげて取上げてみた。
俘虜郵便の検閲に関する監督機関は、原則として陸軍省俘虜情報局であったが、
逓信省による郵便検閲(郵便局内での郵便検閲)との関係はどのようになっていた
のだろうか。


 「通信取締ニ関スル件」(欧受第1614号、大正512月、逓信省)には、俘虜郵便
に関する検閲範囲方法等についての、逓信省の問合せに対する陸軍省の意見回
答が記録されている。陸軍省の意見では、ドイツ俘虜発受の俘虜郵便等は陸軍省
管轄の検閲制度によるものとし、逓信省による検閲は必要ないとしている。

(取締法)
一、 俘虜ノ発受スル電信及郵便物(信書、為替、有價物件、小包贈與品、救恤品
等ヲ含ム)ハ俘虜収容所ニ於ケル監視将校ニ於テ通訳ト共ニ之ヲ検閲シ取
締上支障ナキモノハ其発受ヲ許可シ暗號ノ使用其他取締上不都合ト認ムル
モノハ其発送ヲ禁シ或ハ之ヲ没収ス
二、 俘虜収容所ニ於テ没収シタル電信及郵便物ハ之ヲ俘虜情報局ニ送付シ同
局ニ於テ之
ヲ領置ス
三、 俘虜ノ発受スル電信及郵便物中俘虜収容所ニ於テ検閲スル電報及郵便物
ハ日本文独
逸文其他俘虜収容所ニ於テ検閲シ得ルモノニ限リ其他ノ外國文
ニ依ルモノハ俘虜情報局ニ送付シ同局ニ於テ検閲シ支障ナキモノハ之ヲ各
俘虜収容所ニ送付シテ俘虜ニ交付シ或ハ収容所ヨリ発送セシメ支障アルモ
ノハ之ヲ没収領置ス
四、 俘虜情報局及俘虜収容所ト所在地郵便局間ノ俘虜郵便物受領方法ハ大正
三年十月十日逓信省令第三十七號俘虜郵便規則同日逓信省公達第四七
四號俘虜郵便取扱規程大正三年九月十四日逓信省令第二六號俘虜郵便
為替規則同日逓信省公達第四二八號俘虜郵便為替取扱規程ニ準掾ス

(信書没収要領)
一、 公用文書
二、 商用取引文書
三、 日本聨合國ヲ誹謗スル文書
四、 日本ノ事情及収容所ノ状況ヲ悪評スル文書
五、 俘虜ノ士氣ヲ興奮スル文書
六、 國債募集ニ関スル文書
七、 煙草(外國ヘ向ケ)注文ニ関スル文書(特ニ暗ニ注文スル意味ヲ有スルコト
ニ注意ノコト)
八、 暗號、符號筆ヲ用フル文書
九、 文意明瞭ヲ欠ク文書
十、 日本官憲ヲ侮辱スルモノト認ムヘキ文書
十一、 隠字、隠言アル文書

 大正76、米国大使から日本の郵便検閲制度に対する問合せが外務省にあっ
た。外務省は郵便検閲制度に関する問合せを逓信省にしているが、この件に対す
る逓信省の回答を見てみよう。


(本邦ニ於ケル郵便検閲制度ニ関シ在本邦米國大使ヨリ照會ノ件、大正774
日、
外第4114号・密受第382号)

 當省ニ於ケル敵性通信取締ハ御承知ノ通大正五年當省令第六十三號竝之ニ関
スル同年當省告示第千百四十一號同第千百四十二號及同第千百七十九號ニ基
キ全國ノ通信官署ニ於テ外國及日支郵便、電信竝外國郵便為替ノ全部ニ對シ厳重
ノ審査ヲナスヲ原則トシ内國通信モ亦對敵取引禁止令(勅令
41号、大正6423
日)ノ関係上之ヲ取締ルモ内國通信ハ前記通信ニ比シ極テ寛大ニ有之候

 而シテ帝國ニ派遣セラレタル外交官ヨリ發シ又ハ之ニ宛ツルモノハ前記省令第六
十三號ニ依リ検閲ヲ受クルコトナク又在本邦大公使館員及其ノ家族、在本邦外國
領事官同領事館員及其ノ家族ヨリ發シ又ハ之ニ宛ツルモノ殊ニ米國等ノ聯合國ノ
大公使館員、同領事官同領事館員竝此等ノ家族ニ發着スルモノハ極テ寛大ノ取扱
ヲナス方針ニ有之又本邦俘虜、俘虜情報局及俘虜収容所ノ發受スル郵便物、電報
及郵便為替、聯合國俘虜ノ發スル郵便物及郵便為替、聯合國俘虜情報局ノ發受ス
ル郵便物及郵便為替、竝聯合國俘虜情報局ニ宛ツル電報ハ夫々當該國官憲ノ厳
重ナル檢閲ニ信頼シ前記告示第千百四十二號ヲ以テ檢閲ヲナササルコトト致居候
(抜粋)

上記を簡単にまとめてみる。
外国及び日支間の通信は逓信省に於いて厳重の検閲を行う。国内通信は比較
的寛大に検閲する。
在日の外交官の通信は原則検閲しない。その家族等の通信は寛大に処理す
る。特に米国等連合国のものは、極めて寛大に行う。
在日ドイツ俘虜、日本俘虜情報局発受の通信は逓信省では検閲しない。連合国
の俘虜関連の通信は当該国官憲の検閲を信頼し、逓信省では原則検閲しな
い。

 日本発受の“俘虜郵便”では、上記に該当しないものがある。俘虜情報局及び在
日ドイツ俘虜発信を除く一般の差出で、日本発在連合国収容所のドイツ俘虜宛、日
本発在同盟国収容所の連合国俘虜宛の通信である。これらは、逓信省の検閲が行
われたと考えられる。



286

 東京ジーメンス・シュッケルト電気株式会社差出・東京中央郵便局1919年(大正8
年)530
、ロシア・ウラジオストック宛価格表記の俘虜郵便。東京中央郵便局の
紫色
Aタイプ検閲差出許可印が欧文・和文の両方押されている。
 また、“
For Permission”表示もある。ドイツ俘虜義捐救済活動をしていたジーメン
ス社より、在ロシア収容所のドイツ俘虜宛義捐金送付状である。ドイツ俘虜ではなく
一般の差出であり、直接東京中央郵便局で差出申請されているので、通常郵便物
と同様に逓信省の郵便検閲が行われている。


287

 横浜郵便局受付・1917年(大正6年)212の在ロシア収容所のドイツ俘虜宛
の俘虜為替受領証である。横浜郵便局の赤色
Aタイプ検閲差出許可印が押されて
いる。ドイツ俘虜義捐救済活動をしていたドイツ人ランドグラフより親族のドイツ俘虜
宛義捐金送付証書である。俘虜為替も料金は無料であった。


288

 米国・ニューヨーク差出・1917年(大正6年)1014、久留米収容所俘虜宛の俘
虜郵便。“
Prisoners of War”と表示があるが、郵便切手を貼付している。神戸郵便
局の紫色
Bタイプ検閲印(検/7)が押されている。これは、郵便切手が貼付されて
いる為、、神戸郵便局の郵便検閲官が、通常郵便物と錯誤し検閲押印した可能性
もあり、俘虜郵便に対する特別の検閲とは考えにくい。久留米収容所で収容所郵便
検閲官により再検閲されている。


289

 板東収容所俘虜差出・大正6514、スイス宛俘虜郵便。収容所の郵便検閲
印の他、
神戸郵便局の紫色Bタイプ検閲印(◎検)が押されている。板東収容所で
検閲の後封緘された郵便物であるならば、新たに開封された跡がないので、神戸
郵便局の検閲は封筒外見上の検閲しかできなかったはずである。例外的な逓信省
の検閲使用例であり、その検閲根拠は現段階では分からない。

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