第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 77 05.05.12 |
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08) 俘虜郵便の検閲(その2) |
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前回、俘虜郵便の検閲による没収例等を、幾つか具体例をあげて取上げてみた。 俘虜郵便の検閲に関する監督機関は、原則として陸軍省俘虜情報局であったが、 逓信省による郵便検閲(郵便局内での郵便検閲)との関係はどのようになっていた のだろうか。 「通信取締ニ関スル件」(欧受第1614号、大正5年12月、逓信省)には、俘虜郵便 に関する検閲範囲方法等についての、逓信省の問合せに対する陸軍省の意見回 答が記録されている。陸軍省の意見では、ドイツ俘虜発受の俘虜郵便等は陸軍省 管轄の検閲制度によるものとし、逓信省による検閲は必要ないとしている。 |
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大正7年6月、米国大使から日本の郵便検閲制度に対する問合せが外務省にあっ た。外務省は郵便検閲制度に関する問合せを逓信省にしているが、この件に対す る逓信省の回答を見てみよう。 (本邦ニ於ケル郵便検閲制度ニ関シ在本邦米國大使ヨリ照會ノ件、大正7年7月4 日、外第4114号・密受第382号) 當省ニ於ケル敵性通信取締ハ御承知ノ通大正五年當省令第六十三號竝之ニ関 スル同年當省告示第千百四十一號同第千百四十二號及同第千百七十九號ニ基 キ全國ノ通信官署ニ於テ外國及日支郵便、電信竝外國郵便為替ノ全部ニ對シ厳重 ノ審査ヲナスヲ原則トシ内國通信モ亦對敵取引禁止令(勅令41号、大正6年4月23 日)ノ関係上之ヲ取締ルモ内國通信ハ前記通信ニ比シ極テ寛大ニ有之候 而シテ帝國ニ派遣セラレタル外交官ヨリ發シ又ハ之ニ宛ツルモノハ前記省令第六 十三號ニ依リ検閲ヲ受クルコトナク又在本邦大公使館員及其ノ家族、在本邦外國 領事官同領事館員及其ノ家族ヨリ發シ又ハ之ニ宛ツルモノ殊ニ米國等ノ聯合國ノ 大公使館員、同領事官同領事館員竝此等ノ家族ニ發着スルモノハ極テ寛大ノ取扱 ヲナス方針ニ有之又本邦俘虜、俘虜情報局及俘虜収容所ノ發受スル郵便物、電報 及郵便為替、聯合國俘虜ノ發スル郵便物及郵便為替、聯合國俘虜情報局ノ發受ス ル郵便物及郵便為替、竝聯合國俘虜情報局ニ宛ツル電報ハ夫々當該國官憲ノ厳 重ナル檢閲ニ信頼シ前記告示第千百四十二號ヲ以テ檢閲ヲナササルコトト致居候 (抜粋) |
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日本発受の“俘虜郵便”では、上記に該当しないものがある。俘虜情報局及び在 日ドイツ俘虜発信を除く一般の差出で、日本発在連合国収容所のドイツ俘虜宛、日 本発在同盟国収容所の連合国俘虜宛の通信である。これらは、逓信省の検閲が行 われたと考えられる。 |
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図286 |
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東京ジーメンス・シュッケルト電気株式会社差出・東京中央郵便局1919年(大正8 年)5月30日、ロシア・ウラジオストック宛価格表記の俘虜郵便。東京中央郵便局の 紫色Aタイプ検閲差出許可印が欧文・和文の両方押されている。 また、“For Permission”表示もある。ドイツ俘虜義捐救済活動をしていたジーメン ス社より、在ロシア収容所のドイツ俘虜宛義捐金送付状である。ドイツ俘虜ではなく 一般の差出であり、直接東京中央郵便局で差出申請されているので、通常郵便物 と同様に逓信省の郵便検閲が行われている。 |
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図287 |
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横浜郵便局受付・1917年(大正6年)2月12日の在ロシア収容所のドイツ俘虜宛 の俘虜為替受領証である。横浜郵便局の赤色Aタイプ検閲差出許可印が押されて いる。ドイツ俘虜義捐救済活動をしていたドイツ人ランドグラフより親族のドイツ俘虜 宛義捐金送付証書である。俘虜為替も料金は無料であった。 |
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図288 |
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米国・ニューヨーク差出・1917年(大正6年)10月14日、久留米収容所俘虜宛の俘 虜郵便。“Prisoners of War”と表示があるが、郵便切手を貼付している。神戸郵便 局の紫色Bタイプ検閲印(検/7)が押されている。これは、郵便切手が貼付されて いる為、、神戸郵便局の郵便検閲官が、通常郵便物と錯誤し検閲押印した可能性 もあり、俘虜郵便に対する特別の検閲とは考えにくい。久留米収容所で収容所郵便 検閲官により再検閲されている。 |
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図289 |
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板東収容所俘虜差出・大正6年5月14日、スイス宛俘虜郵便。収容所の郵便検閲 印の他、神戸郵便局の紫色Bタイプ検閲印(◎検)が押されている。板東収容所で 検閲の後封緘された郵便物であるならば、新たに開封された跡がないので、神戸 郵便局の検閲は封筒外見上の検閲しかできなかったはずである。例外的な逓信省 の検閲使用例であり、その検閲根拠は現段階では分からない。 |
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