第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 72      05.02.09

06) 南洋群島のドイツ俘虜

 大正310月中旬、日本海軍(第一艦隊第一・第二南遣支隊/第一部・南洋群島
の占領参照)は、ドイツ領南洋群島を占領している。ここでは、この南洋占領作戦に
おいて日本側俘虜となったドイツ兵俘虜と、関連事項の記録を紹介したい。


 272 ドイツ領時代の南洋ヤルート島絵葉書

1)ドイツ戦艦グナイゼナウ乗組員
  ユリウス・リュールス
/Julius Luehrs等水兵・Matrose/Gneisenau
  ゲオルグ・ツァッハ /Georg Zach  (等焚火兵・Heizer/Gneisenau

 この2名は療養中のポナペ島で俘虜となった。
大正3(1914)103、第一南
遣支隊巡洋戦艦筑波はヤルート島を出港、
6クサイ沖でポナペ島占領の命を受
けている。
翌7日にポナペ島占領となっているので、この2名もこの時期俘虜となっ
たと考えてよいだろう。輸送船により横須賀経由で浅草収容所に収容されている。


273 南洋遠征艦隊軍艦筑波及び海軍の占領セル南洋群島ヤシの木

2)ドイツ測量船第三号乗組員
  エミール・アピッツ/Emil Apitz
  (第一水兵団第九中隊一等測量手・
Obervermessungsgast/PeilbootV)
  リヒャルド・シュラム
/Richard Schramm
  (第二工機団二等機関兵曹・Maschinistenmaat/PeilbootV)
  ヴィルヘルム・ゼームート/Wilhelm Seemuth
  (第二工機団二等焚火兵・Heizer・UWerfdivision/PeilbootV)

 この
3名は
大正3(1914)1011、トラック島付近で俘虜となった。トラック島
は、翌
12日海軍により無血占領されている。海軍輸送船により横須賀軍港へ運ば
れ、鉄道で久留米収容所まで護送されているが、
1031日付東京朝日新聞にその
道中が記されている。


 (京都通過の南洋俘虜) 南洋からの俘虜の一行は三十日午前十一時十一分京
都驛に到着したその中の下士は三等機関兵曹で水兵服の上にジャケットを着し左
腕には黄絨で錨の上に歯車の附いた印と襟に一條の銀線を附けて居る水兵の一
名は四等機関兵で今一名は一等水兵である是も左腕に黄羅紗で大きな
V字形の中
に星章を付た上に
Vの字を附けて居る機関兵の鈕は銀色だが水兵の方は金色であ
る〜(京都電話)(注:所属等級に疑問有)


3
)ドイツ測量船プラネット乗組員
  ヴィリー・ライエケ
/Willy Reieke 他乗組員計9

 この
9名はヤップ島付近で俘虜となったが、
大正14111宣誓解放、米国領
事に引渡されアメリカに渡っている。これら測量船
3号と測量船プラネットについての
記録(
1020日海軍軍令部公表記録・大正311月欧州戦争実記)を紹介したい。

 (重ねて南洋獨領征服) 曩にヤルート島方面に行動せる我艦隊の一部は、爾後
十月十四日迄に於て、マリアナ、マーシャル、東西カロリン群島中、作戦要地たる諸
島の軍事占領を了せり。此行動中、潜伏せる敵の測量船二隻を發見せしが、其の
一隻は自沈し、他の一隻は、乗員と共にこれを捕獲せり。我に損害なし。(中略)南
洋方面の獨領は是にて殆ど我軍の有に歸し、南洋諸群島に於て高く日章旗の翻る
を見るに至るなり。我艦隊の行動中、某方面に潜伏せる敵の測量船二隻を發見せ
しに、敵は我艦隊に對し敵對するの武力をも有せず、逃ぐるにも逃ぐる能はず、絶
體絶命の極、遂に其の一隻なるプラネット號は自ら火を放ちて沈没するに至れり。
同艦は噸數六百六十噸(トン)にして、速力九節半(ノット)、進水千九百五年、機関
砲五門を有し居れり。他の一隻は測量艦第三號にして、排水量百十噸の小艦艇な
りしが、同艦は數十名の乗員と共に之を捕獲し、乗員は俘虜として内地に護送する
筈なり。


4)ヤルート島知事メッツ氏とその家族

 
1019横須賀軍港に護送。非戦闘民間人として宣誓解放。22米国領事に引
渡され、
25横浜より日本郵船筑後丸にて上海に渡っている。

5)在青島・砲艦ヤグアール乗組員(ポナペ島出身)二等水兵・Matrose/Jaguar
  ヨセフ・ゲオルグ/Joseph Georg (現地名Isolap Georg)
  ヨセフ・サムュエル/Joseph Samuel(現地名Nanpon Samuel
  ヴィルヘルム・エスライ・ヘルゲン/Wilhelm Eslei Helgen

 
南洋ポナペ島出身の3名は、青島にて(GeorgSamuel2名は青島造船所・
Helgen
は青島港務所本部付)に就業中、開戦とともに砲艦ヤグアールに配属されそ
のまま日本側俘虜となった。その後、浅草収容所を経て習志野収容所に収容され
ていた。ヴェルサイユ講和会議における連合国の態度表明(同盟軍の占領地が出
身地、もしくはそこに両親を有する俘虜等は、行動誠実なる限り解放する)に基づ
き、
大正8617、この3名は正式に陸軍省に宣誓解放を申請し、同年1127
習志野収容所を出発、同日横須賀海軍港務部に引渡され、ポナペ島に帰還解放さ
れている。(欧受第
1023号、同1365号)

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