第二部・日独戦争と俘虜郵便の時代 66      04.08.13

03) 赤十字(その2)

 大正元年(1912年)10月24日、日本赤十字社は麹町区飯田町から芝公園5号1番
(旧血精薬院跡・3137坪・土地代を含め総工費約59万円)の新社屋に移転した。こ
の社屋は関東大震災
(大正12年)で大部分を焼失しているが復興し、第二次世界
大戦後も生残った。
昭和49年(1974年)11月に解体、新社屋が建設(地上7階建・総
工費約70億円・
昭和52年3月末完成)され、芝の“日赤”として今日に至っている。
 ここでは、日本赤十字社と各国赤十字機関との(俘虜郵便としての)赤十字間通
信を幾つか紹介しよう。



図256

 
図256は、大正8年(1919年)2月24日、日本赤十字社発信、スイス・ジュネーブの国
際赤十字委員会俘虜国際事務局宛の俘虜郵便である。日本赤十字社の専用封筒
が使用され、裏面に専用封緘紙が貼られている。引受局は日本赤十字社最寄の芝
郵便局である。
この年1月18日、フランスでヴェルサイユ講和会議が始まり、各国赤
十字は戦時俘虜の帰還事業援助を始めている。ドイツ俘虜解放帰還事業に関する
照会等の通信であろう。



図257

 
257は、大正8年(1919年)6月16日、ドイツ・ケルンの赤十字・在英国ドイツ俘虜
委員会発信、日本赤十字社宛の俘虜郵便である。東京中央郵便局中継、芝郵便
局の到着印、日本赤十字社の角型受領印(
7月23日・第355号)が押されている。ヴ
ェルサイユ条約調印
(6月28日)直前の発信で、この俘虜郵便もドイツ俘虜解放帰還
事業に関する照会等の通信であろう。


図258

 
258は、大正8年(1919年)6月21日、中立国スウェーデン・ストックホルム赤十字
俘虜委員会発信、日本赤十字社宛の俘虜郵便である。この俘虜郵便も同様の帰還
事業に関する照会等の通信と考えられ、日本赤十字社の角型受領印(
8月13日・第
390号)が押されている。(受領番号355号から390号まで
約3週間かかっている。)

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