日独戦争と俘虜郵便の時代 52
      04.02.05

26) 
軍事郵便証票・青島軍事(その2)


図203 青島軍事 未使用田型

 郵趣界において“20世紀の珍品”といえば、必ず名前が挙がるのがこの“青島軍
事”であろう。大正10年6月、彗星の如く郵趣界に登場したこの謎の“臨時軍事郵便
証票”は、その後多くの収集家を悩ませることになり、悲喜交々の様々なエピソード
を残している。
 
今日では多くの専門的な研究や新しい使用例の発見等により、その郵趣界での
位置は揺ぎ無いものになっているが、未だ公的資料は見つかっておらず、そのミス
テリアスな一面も収集家の心を惹きつけている一因になっているようだ。
 ここでは、この臨時軍事郵便証票を、郵趣界の例に倣い“青島軍事”と呼ぶ事に
する。


図204

 郵趣界における青島軍事の発見報告は、雑誌「郵楽」7巻11号(大正10年6月)上
で郵楽会員前田為之助氏により発表されている。(図204)当時の収集家達の驚き
は大きなもので、現地青島からの入手を試みた者もいたようだが、殆ど成功しなか
ったらしい。
 
前田氏は同報告にあるように、4月下旬には行動を起こしており、独自のルートで
青島軍事の入手に成功し、その多くを郵趣界に還元している。その為、現在残され
ている青島軍事の未使用の殆どは前田氏経由の物と考えられ、前田報告やその後
の証言等は、公的資料の無い青島軍事の研究において、“前田資料”として欠かせ
ないものになっている。

(青島軍事の基本事項)
・台切手 支那字加刷田沢型旧大正毛紙3銭、P.13×13.5
・青島郵便局において手押印「軍事」加捺

・発行数 10,000枚(前田報告による)
・推定発行日、推定使用開始日 大正10年4月1日
・最終使用時期 大正10年6月頃
・使用地域、旧ドイツ租借地内外の普通郵便局(野戦郵便局)及び軍事郵便局
・前田氏入手の未使用 70枚〜75枚(前田証言による)
2004年2月現在の現存確認田型マルティプル3点(内1点は左霞罫耳紙付)
・正規軍事郵便証票(旧毛軍事)の交付・使用開始 大正10年5月頃
 (前田報告による)
 
(識者によれば、現存確認数からすれば、正規版の山東使用例は青島軍事使用
例よりも少なく貴重なもので、理由として守備軍の段階的縮小等が指摘されている)

図205 青島郵便局差出 櫛型・青島/10.4.29/前9-12


図206 坊子軍事郵便局差出 櫛型・坊子/10.4.8./前9-12D欄「軍事」
タカハシオークション379号


図207 正規軍事郵便証票(字間4.25mm)使用例 櫛型・青島/11.1.17.

 青島郵便局(所澤町)において“青島軍事”が製造されたことは前田報告による
が、その臨時的な製造と使用許可の責任者は誰だったのであろうか。

 
大正10年4月当時は、逓信大臣野田卯太郎、陸軍大臣田中義一、青島守備軍司
令官由比光衛、青島郵便局長逓信事務官中川傳治であった。青島守備軍公報で
3月26日に施行日(4月1日)の告示を出している。未だ逓信省より軍事郵便証票
の送付がない3月末、青島郵便局長がまず報告したのは青島守備軍司令官と推定
され、逓信省、陸軍省への報告は同時進行的に行われたとしても、時間的に余裕
があったとは考えられない。臨時軍事郵便証票の製造・交付の決定は、青島現地
の判断として青島守備軍司令官の承認のもと、青島郵便局長が最終指示を出した
と考えるのが妥当であろう。

 
前田報告では、発行枚数を1万枚としている。これは、百面シートの官封(百シー
ト)の量に相当する。大正10年の山東地域(旧ドイツ租借地及び山東鉄道沿線地
区)の居留邦人総数は約2万7千人。資料により多少の誤差があるが、同年4月〜6
月時点
の青島守備軍兵力(欧発第408号)は4個大隊合わせて約2500人、内将校
は約80人なので交付対象となる下士兵卒は約2400人と推定される。一人あたり月
2枚とすると、単純計算で2ヶ月分として約9600枚である。正規軍事郵便証票の到
着が何時になるか分からない時点では、2ヶ月分を一度に製造する事は自然な事
にも思える。また、青島郵便局から各地の守備隊駐屯地に交付する際、2月ヶ分を
一度に送付した可能性も充分考えられよう。前田報告の1万枚とする記述も、青島
郵便局からの情報に基づいているはずなので、筆者は1万枚とする発行枚数を信
用できるものと考えている。

 
今日、郵趣界にある未使用“青島軍事”の多くが、田沢図案の印面が下方に寄っ
た“オフセンター”である事は識者には良く知られている。現存確認のとれている田
型のうち左耳付はこの“オフセンター”版であり、前田氏が最後まで所有していた事
で有名である。この田型は写真記録のある別の左耳付田型(「日本切手百年小史」
今井修著、日本郵趣出版・1978年、現在所在未確認)と、再接できる可能性が昨年
筆者により指摘されている。また、現存確認がとれているもう一点(図203)の田型も
やはり“オフセンター”版である。記録が重複している可能性はあるが、“オフセンタ
ー”版の未使用単片も、筆者は少なくとも5点は確認している。これらが同一のシー
トから切断されたものとすれば、前田氏が青島郵便局から入手した中に、“オフセン
ター”版“青島軍事”の(推測20枚以上の)未使用群があった可能性も現実味を帯び
てくる。

 
青島軍事研究は多くの収集家により発表されているが、欠かせない文献資料とし
ては、前田氏の後日証言も含む広田芳久氏の研究記録、また、現在最も詳細なも
のとして天野安治氏の研究記録が挙げられよう。興味のある方は、是非入手して頂
きたい。


(1)前田為之助氏報告(郵楽・7巻11号、8巻1・2号、1921年)
(2)広田芳久氏「軍事加刷切手の研究」(カナイスタンプレーダー・145号〜155号、
   及び青島軍事について156号、1971〜72年)
(3)天野安治氏「田沢型3銭・軍事加刷」(郵趣研究30号、1999年)
  
天野安治氏「田沢型3銭ハンドブック」(日本郵趣協会、2001年)


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