日独戦争と俘虜郵便の時代 41      03.09.17

20) 占領後の山東鉄道 (その3)

溜川停車場
144 溜川停車場

 黌山野戦郵便局は、大正4年11月1日付けで守備軍司令部により、溜川炭鑛野戦
郵便局と改称されている。(
大正4年10月26日、野戦郵便局改称ノ件、陸軍青通第
1053号) 存在した筈の櫛型・黌山のC欄野戦局印は、現在でも確認されていない。

(追加記録:安藤源成様より支那加刷菊1銭
5厘葉書、
櫛型・黌山/4.4.21/野戦局
開原宛 の使用例報告がありました。同印「黌山」は筆者初見のデータです。ここに
記録させていただきます。安藤様有難うございました。平成
16120日)

 ドイツ経営の黌山炭鉱(溜川炭鉱)は、日本軍による山東鉄道占領の後、青島守備
軍鉄道部採鉱課の管理になっている。
大正4には、主に中国人坑夫(約2000人)を
使役して一日約
200トンの石炭を採掘していた。また、日本軍はこの鉱山を鉄道経営
の生命線として重要視しており、鉱山には青島守備軍より黌山警備隊を派遣してい
る。

黌山炭鉱と坂口炭鉱長
図145 大正4年初め頃の黌山炭鉱、写真の人物は坂口炭鉱長

年賀状
図146

山東鉄道管理部溜川診療所
図147

 図146は、山東鉄道管理部溜川診療所(図147)の看護婦より奈良宛に差出された
年賀状である。
櫛型・溜川炭鑛/5.1.1./野戦局が押されている。この時代、日本人
女性が野戦局から差出した無料軍事郵便は珍しいもので、その職業もかなり限定
されていたことだろう。

青州府停車場
148 青州府停車場

公用軍事郵便 左封筒裏面画像
図149

 149は、青州野戦郵便局差出の公用軍事郵便である。青州野戦郵便局は、
561
に四方とともに追加開局となった野戦局で、幻の野戦局印(C欄野戦
局印)の一つであったが、この度紹介出来る事となった。

櫛型・青州/5.12.10./野戦局が押され、名古屋まで送られている。

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