日独戦争と俘虜郵便の時代 27
      03.05.14

12) 
ドイツ青島要塞攻略 青島入城

 大正天皇は、大正3117日付の勅語と御沙汰書により日英印の参加部隊へ感
謝の意を伝えた。(
8勅語降下)また、大隈首相、イギリス皇帝、フランス大統領他
からも祝辞が打電され、青島中に日英の国旗が翻ったと記録されている。日本各地
でも青島陥落が伝えられるとお祭り騒ぎのようになり、特に久留米、佐賀、大村など
の参加部隊の出身地では、連合国の国旗と共に提灯行列など、市民数万が連日
祝賀会を催している。(
11東京市大祝賀会開催)

 青島開城規約書が調印されると、神尾司令官は
8、軍事委員長渡邊少将、海
事委員長正木中佐、経理委員長山田少将、危険物除去委員長堀内少将、俘虜委員
長浄法寺少将、行政委員長山梨少将、衛生委員長磯村大佐を任命し、
9日よりドイツ
側開城委員とともに協議に入り、占領方式及び授受方法その他事務手続を順次開
始した。また、
同日9、青島攻略軍司令部は大庄よりモルトケ北兵営に移され、開
城委員会々合も同地で行われている。


 神尾司令官とワルデック総督の初会見は、
10日午前10時過ぎにモルトケバラック
にて行われたが、日本側はワルデック総督以下将校に敬意を表し帯剣を許可して
いる。(
9ドイツ側将校帯剣差許)また、第二艦隊加藤司令長官は、同日10をも
って膠州湾の封鎖解除を宣言した。
1114独立第十八師団は青島占領完了を
正式に発表し、占領政策は次の段階へ入った。


図88
攻略軍司令部・モルトケ兵営における、日英印の青島攻略軍幕僚の記念写真、
中央に神尾司令官

 1116日午前8、小雨の中各部隊は臺東鎮部落南方ルツクス街を先頭に、済
南街、キール街、プリンツハインリッヒ街を廻り、旧ドイツ総督府前にて黒鹿毛に騎
乗の神尾司令官他各国幕僚を前に分列式を行ない、旧イルチス錬兵場に設置され
た招魂祭場へ行進した。


図89 歩兵隊青島入城分列式、左手馬上は神尾司令官と幕僚

 代表部隊には海軍兵、英国軍、インド軍等も参加し、根拠地狗塔埠より陸軍飛行
機も分列式場の上空に飛来し華を添えた。入城分列式を終え、各部隊は青島攻略
軍戦病死者の招魂祭を行ない、
1215神尾司令官は三拝の後祭文を読上げ、
12
40
招魂祭は終了した。


図90

入城式後11月中の青島を簡単に記録する。

1117

攻略軍司令部がモルトケ北兵営より膠州湾総督府(
90)へ移
転、同時に
モルトケ、ビスマルク兵営他に日本軍各部隊移動。
軍令第八号をもって青島地方における占領地に青島守備軍
司令官を置く件を制定、施行。守備軍は静岡連隊と決定。
(26
日守備軍司令官神尾中将、参謀長浄法寺少将任命)(128
日青島守備軍編成完了を宣言)
ワルデック総督門司着。

19 神尾司令官、軍令第一号、及び告示を発布し青島・李村に軍
政を布く。青島軍政署政官陸軍歩兵中佐吉村健蔵、李村軍政
署政官陸軍歩兵中佐多賀宗之。

20 神尾司令官、青島一般人入市の手続に関する告示発布。
占領地ドイツ語地名、日本名に変更。

25 臨時青島要港部司令官海軍少将岩村団次郎赴任。(1113
日任命)
山東鉄道青島済南間全線開通。

28 凱旋帰国輸送開始、12月下旬完了。
1110日〜30 独立第十八師団第五〜十六野戦郵便局順次開設
12月中に師団野戦郵便部は青島守備軍逓信部に業務引継


  
図91

 図91は、第十一野戦局(維県{実際の字は三水に維}、1112日開設)より差出、
櫛型・第十一/3.11.22./野戦局。出征第十八師団独立歩兵第一大隊第二中隊の兵
士より大阪宛の軍事郵便。


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