日独戦争と俘虜郵便の時代 21
      03.04.10.

11) 
日独戦争と各国観戦武官

 日独戦争とは、一般には第一次世界大戦の局地戦としてのドイツ膠州湾租借地
青島攻略戦のことをいう。しかし、日本が連合国の一員としてドイツと戦ったという
意味では、これまでに取り上げた様々な戦いがあったことはいうまでもない。青島に
おける“日独戦争”は、主要な戦闘という意味では“日本軍対ドイツ軍”という大きな
図式が成り立つが、参加部隊ということでみれば、日本、イギリス、英領インドの“連
合国”と、青島ドイツ軍、オーストリア海軍(カイゼリン・エリザベート)の“同盟国”と
の戦いでもあった。


図64

 青島攻略戦後に日本で作られた、各種日独戦役絵葉書の中から日独戦争の主
役達を紹介しよう。
64は、連合国より日本の大正天皇、英国皇帝ジョージ5世、日
英同盟を意識した図案である。


図65

 
65は、青島要塞攻略戦に参加した日本陸海軍の代表、第二艦隊司令長官加藤
中将、攻略軍司令官神尾中将


図66

 66は、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世、膠州湾総督ワルデック総督、ドイツ帝国
(1870)「神は我らとともに」と添えられている。

 第一次世界大戦では、今日の戦争報道の先駆けともいえる報道合戦が行われ、
同時に一枚の写真で一国の世論が一変しうるという報道の恐ろしさや、報道倫理な
ど多くの問題も生むことになった。この青島要塞攻略戦でも、連合国各国より観戦
武官が派遣され、情報の収集と戦闘の監視を行っている。また、英米をはじめ多数
の外国人新聞記者、カメラマンが日英軍に同行を許され、この極東の局地戦を全
世界へ報道した。ドイツ側では中立国記者として米国連合通信社派遣の米国人ブ
レースが、唯一ドイツ軍とともに青島要塞に篭城しレポートを送っている。日本から
は、朝日、報知、東京日日、二六、やまと、中央、福岡日日、他新聞各社が参加し、東京
日日新聞等は日本初の従軍カメラマンも派遣している。


図67

 67張村司令部で神尾司令官らを囲む、各国観戦武官と新聞記者の記念写真。
イギリス、フランス、ロシア、アメリカ、スペイン、オランダの観戦武官と新聞記者達
である。


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