日独戦争と俘虜郵便の時代 19      03.03.18
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9) 戦利ドイツ潜水艦(その2)

 第二特務艦隊の一部(日進、第二十二、第二十三駆逐隊)は、特務艦関東に
回航された
隻のドイツ潜水艦とともに、
大正8年(1919年)618海軍横須
賀港へ凱旋到着した。
7隻の潜水艦には〇一から〇七までの番号が与えら
れ、日本海軍の潜水艦建造の参考として研究される事になった。この潜水艦
は当初損傷の激しいものが多く、スエズ運河を通り遠く日本まで回航するこ
とを、イギリス海軍をはじめ各国海軍の専門家は不可能とみていた。しか
し、第二特務艦隊はイギリス・ポートランド軍港、マルタ・バレッタ軍港にお
いて大修理を行ない、日本まで無事回航に成功し、世界中の海軍関係者を驚か
せたといわれている。また、この戦利潜水艦の回航は、成功するか疑問があっ
たので事前に日本国民には知らされていなかった。その為、第二特務艦隊の凱
旋にあたり急遽公表されたので、国民の驚きと歓喜の様は大変なものだった
らしい。

一号  U- 125 独ブローム&フォス社
全長82.0 大型航洋型機雷敷設艦
ニ号  U- 46 独ダンツィヒ工廠
全長65.2 量産中型通商破壊作戦用潜水艦
三号  U- 55 独クルップ・ゲルマニア造船所
全長65.2 量産中型通商破壊作戦用潜水艦
四号 UC- 90 独ブローム&フォス社
全長56.5 小型沿岸用機雷敷設艦
五号 UC- 99 独ブローム&フォス社
全長56.5 小型沿岸用機雷敷設艦
六号 UB- 125 独ヴェーゼル社
全長55.9 小型沿岸哨戒用潜水艦
七号 UB- 143 独ヴェーゼル社
全長55.9 小型沿岸哨戒用潜水艦




56

 56は横須賀に到着した戦利ドイツ潜水艦絵葉書。上段左より一号、
ニ号。「海上の魔王トシテ全世界ヲ震撼セシメタル独逸潜水艦(横須賀海軍
鎮守府検閲済)」


 旗艦出雲、第二十四駆逐隊は、連合国各国の港へ寄港したためやや遅れ、

大正
872
に無事横須賀へ凱旋到着した。79には、横須賀軍港沖で
大正天皇御臨幸のうえ、第一、第二特務艦隊の御親閲式が行われた。御召艦
は出雲となり、第一特務艦隊より磐手、千歳、第二特務艦隊より出雲、
日進、第二十二、第二十三、第二十四駆逐隊、特務艦関東、戦利ドイツ潜水
艦7隻(〇一より〇七号)が御親閲の栄誉に浴した。その後、第二特務艦隊は
各々の母港へ帰還し、
720任務を解かれ解散している。

 一方、これら戦利潜水艦は、研究用、潜水学校練習用、標的艦用等として
様々な道を歩んだが、多くは大正10年中に解体処分されている。また、日本
に回航直後は、日本各地の港にて凱旋展示が行われている。

 
57

 57は、大正8712より東京芝浦で行われた戦利ドイツ潜水艦凱旋展
示に訪れた差出人が、記念写真葉書を息子に送ったもの。おそらく芝浦の展
示会場で購入した絵葉書(横須賀繋留中の
ニ号)を利用したのであろう。発
行したばかりの平和記念切手を使用しているのが感慨深い。抹消印は

櫛型・日本橋/
8.7.14.である。銀ブラでもした後、差出したのだろうか。絵葉書
には、「これはドイツの潜航艇、昨日より学生に見せる、今日より一般人民誰
にでも見せるのです、以って芝浦に来ているのです。」と記してある。

 


 
58

 58平和記念切手種、ヴェルサイユ条約調印を記念し、大正871
発行された。平和の象徴である鳩とオリーブをモチーフにしている

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