日独戦争と俘虜郵便の時代 4 02.12.27 |
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3) 日本の参戦 |
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1914年8月4日イギリスはドイツに宣戦すると、同盟国日本に参戦を打診してき た。当初はドイツ東洋艦隊の撃破と、香港・威海衛等がドイツに攻撃された場合は、 協力を依頼するというものだった。8月7日、日本政府は閣議においてすぐさま対独 参戦を決定したが、日本の中国大陸への野心を警戒しているアメリカや、日本の南 下政策を警戒する英国自治領オーストラリアの強硬な反対により、イギリスは態度 を変える。日本の行動範囲を、ドイツ青島基地及び中国沿岸の武装ドイツ商船の撃 滅と限定し、さらに参戦要請そのものを取消等、日本軍の中国大陸及び太平洋進 出に敏感になった。日英同盟の条文によれば、同盟国が対1ヶ国と戦闘状態に入っ た場合には中立を守る事とし、対2ヶ国以上と戦闘状態に入った場合には同盟国側 に立ち参戦する事になっていたので、大隅内閣の加藤外相はイギリスに対して、戦 闘地域を限定する事を条件に日本の参戦を同意させ、8月15日ドイツに対し最後通 牒を送ったのである。東支那海のドイツ艦艇の即時退去、膠州湾租借地を中国に 返還する為、日本へ無条件で引き渡す事などを勧告し、同月23日正午迄に返答す る事を要求したのだ。 |
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図15 |
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8月23日午前11時、永田町のドイツ大使館(図15)は、扉を閉ざし国旗の掲揚も控 えていた。大使館周辺は憲兵と警察官が厳重に警備している。重い空気が独特の 静けさに包まれている。暫くして、館内からの突然の歓声に、集まっていた新聞記 者達がざわめいた。中にいた日本人通訳によれば、たった今ドイツ本国よりメッツ・ ボーデン地区でドイツ軍がフランス軍を撃破したという電報が入ったという。時計は 12時になろうとしていた。このような静寂の中、日本は世界大戦に参戦したのであ る。 |
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図16 |
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図16は日本がドイツに宣戦直後、ドイツのミュンヘンで作られたプロパガンダ絵 葉書のひとつで、膠州湾に黄色い野獣(日本人)が上陸する絵である。葉書にはドイ ツ語でこう書かれている。「日本人、黄色の盗人はやがてドイツの一撃で真っ青にな るであろう」と。 |
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